WILLナビ:よみうりGENKI 次代を担う人材を育てる中高一貫校特集
開成×灘 教育座談会
 グローバル化の進行で、英語教育の充実ばかりが注目される傾向があるが、実は読解力、記述力など、国語力の低下も大きな課題になっている。どうすれば子どもの国語力を高めることができるのか。開成と灘の先生方に聞いた。
  1. 記述式入試で読解力低下は見られず ただし日常生活に根ざした国語力に不満も
  2. 自由研究と論文で「読ませる」ことを意識(開成) 生徒が作問、教員も一緒に解いて精読(灘)
  3. 「知的好奇心」を刺激すれば 理系志望者も国語に関心
  4. 画一的なアクティブ・ラーニングに疑問 生徒同士で考え生み出すものを尊重すべき
  5. 「投書箱」「読書ノート」で 多様な生徒の読書体験が刺激に
  6. 大学入試改革、記述重視の方向性は歓迎 実施方法にはまだ検討の余地あり
  7. 中学入試で英語を導入する可能性は?
  8. 映画・アニメも含め多様なコンテンツに触れて 家庭内の会話量は国語力に直結
記述式入試で読解力低下は見られず
ただし日常生活に根ざした国語力に不満も

古沢 本日は国語教育をテーマにお話を伺いたいと思います。最近の生徒は理系志向が強まっています。また、グローバル化に伴って、英語教育に注目が集まっています。そんな中で、国語教育の重要性についてどうお考えでしょうか。

和田 私は英語の教員ですが、日本人である以上、英語がいかに堪能になっても、それはやはり第二言語なのです。第一言語である日本語がきちんと身についていることが大前提になります。というのも、日常生活では皆、日本語を使っていますし、算数や理科など、他の科目の勉強をするときにも、教科書はすべて日本語で書かれています。他の科目をしっかり理解するためにも、活字を素早く読んで的確に捉える力、すなわち基本的な国語力が基盤になるのです。

柳沢 本日のテーマで、私がまず思ったのは、言葉には大きく二つの役割があるということです。一つは思考のための道具です。文章を読むことによって思考に刺激を受け、読んだ内容を自分の中で咀嚼して、さらに思考を深めていきます。もう一つはコミュニケーションのための道具です。他者と接触し、社会性を維持する上でも言葉は欠かせません。

古沢 経済協力開発機構(OECD)の「国際学習到達度調査(PISA)」などで、日本の生徒の読解力低下が指摘されています。トップ層が入学してくる両校の先生方も読解力の低下を感じていますか。

 上位層の読解力はそれほど落ちていません。灘の中学入試では、2日間にわたって国語の試験を実施します。しかも、漢字や慣用句などのいわゆる知識問題だけでなく、しっかり考える力が求められる問題を出題しています。たとえば、いくつかの俳句を並べて、あまり耳慣れない季語がどのような意味で使われているかを問う問題や、評論文で説明されていることを絵に描かせる問題を出題したこともあります。パターン学習では対応できないので、読解力も含めて相応の国語力を備えた生徒が入学しています。ただし、入学後の生徒間の格差が広がっている印象はあります。漢字テストで8割得点できなかった場合の追試で、また同じ間違いをして、基準をクリアできない生徒が見られるのです。これは15年から20年前ならありえないことでした。

古沢 それはどのような理由によるものでしょうか。

 勉強以外の楽しみが増えたということでしょう。子どもだけの問題ではなくて、大人がスマホ中心の生活を送り、ゲームをしているような環境であれば、子どもも自然と同じような楽しみに自由時間を使うようになるものです。

和田 橘先生が指摘したことは、国語だけに現れている現象ではありません。入学してからの勉強に対する姿勢に差が生じている気がします。小学校までは塾のおかげで、一生懸命勉強をしていたと思いますが、灘や開成のように自由を尊重する学校に入ると、それに甘えてしまうのです。以前はそれでも試験前になると頑張り始めていたのですが、最近はそうした自制心が薄い生徒が増えているように感じます。

葛西 開成でも読解力の低下は感じていません。十数年前から入試を記述式にシフトしたこともあって、読み、書く力の訓練を積んで入学してくるからです。ただし、文章を論理的に読解することはできるのですが、文章の裏が読めないのが、開成の生徒の特徴です。文字通りに意味を理解しようとするので、皮肉が分からないし、最も苦手なのは恋愛感情がほのめかされている文章です(笑)。明らかにプロポーズの場面なのに、半分以上の生徒がそれに気づかなかったこともあります。「お母さんに聞いてごらん。きっとすぐに分かるよ」といったところ、子どもから質問されたお母さんたちは「なぜわが子は分からないのか」と、ショックを受けていました(笑)。

自由研究と論文で「読ませる」ことを意識(開成)
生徒が作問、教員も一緒に解いて精読(灘)
開成中学校・高等学校
国語科教諭 葛西 太郎 先生

古沢 読解力や記述力を高めるために、授業ではどのような取り組みをされていますか。

葛西 書く力に関しては、論理的な思考力は備えているので、まずは文章の型を教えるのが効果的です。今年は英語教員と連携して「ロジカルライティング」を導入しました。最初の段落でトピックセンテンスを書いて、ある程度の結論をほのめかし、次の段落で具体例を書いて、最後にまとめと自分なりの主張を書くといったパラグラフ意識を持たせることが狙いです。もちろん、もう一つ重要になるのがコンテンツです。社会に向けてこんなことを主張したいとか、誰かを説得したいといった気持ちが大切になります。それを育てるために、中1から自分が興味を持ったテーマに関する自由研究を行い、中3では論文を仕上げています。

 灘は中学3年間をかけて中勘助の『銀の匙』1冊を読み上げた橋本武先生(故人)のスローリーディングで知られています。なかなかそこまで思い切るのは難しいのですが、私の授業も一つの教材に時間をかける点は共通しています。まず、読んだ文章に関する問題も生徒に作らせます。「このクラスで出なかった問題でも、他のクラスでいい問題が作られたときは、定期試験でそれを出すかもしれない」というと、生徒たちは必死でいい問題を作ろうとします(笑)。そうすると、中学の教科書レベルの素材文であっても、生徒が超高校級の問題をひねり出すことも少なくありません。誰が作った問題かを明示して、その問題の解答を私と生徒が一生懸命考えます。いくつかの解答を黒板に書かせて、クラス全体で議論する、いわゆる公開添削をすることもあります。こうして生徒がその作品に参加したという思いを醸成することが大切だと考えています。その中で、作品を深く読み込む力が育まれますし、自分と他の生徒との答案を比較して、あるいは教員のコメントを聞いて、自分の答案に不足しているところを自覚し、修正する力も身につきます。

柳沢 素晴らしい方法ですね。中高時代は、クラスメートがどのような考えを持っているのかを知ることがきわめて重要です。教員との縦の関係だけではなくて、生徒同士の横のつながりの中で、思考を広げていくことが、大きな成長を生み出すからです。問題を作る際にも、クラスメートという解き手を想定することで、分かりやすい表現を工夫する姿勢も生まれるでしょう。その意味で、クラス規模は必ずしも少人数制が優れているというものでもなく、開成や灘のように大人数クラスの方が有効な面もあります。多様な考えに触れるチャンスが広がるメリットがあるわけです。

「知的好奇心」を刺激すれば
理系志望者も国語に関心
灘中学校・灘高等学校
校長 和田 孫博 先生

古沢 近年、全体的に理系志向が強まっています。両校も理系志望者が多いようですが、国語の勉強をあまり重視しない傾向は見られませんか。

和田 灘の場合は国公立志向が強く、入試で国語も必要です。センター試験の国語でつまずくと、2次試験で挽回するのは難しいので、国語も重要な科目という認識を持っています。もっとも、一般論でいえば、私大専願者なら入試で国語が課されないため、本当は重要な科目だと分かっていても、多少おろそかになる面もあるかもしれません。

柳沢 入試で課されるかどうかは大きいですね。合格するために最適な方法を選ぶのは当然の心理です。

葛西 いや、私は違う見解ですね(笑)。開成は理系志望者が約7割を占めていますが、数学オリンピックに出場するような生徒でも、古文、漢文を実によく勉強しています。漢文専門の教員が3名在籍しており、近年、東大の漢文の問題がやさしくなっている中で、東大入試問題よりも高度な内容を教えていますが、生徒は食らいついています。高3で家庭科の授業もありますが、入試で課されるかどうかに関係なく、真剣に授業を受けています。何よりも大切なのは、生徒の知的好奇心に応える内容かどうかであり、そうした授業であれば、生徒は必ず興味を持ってくれます。

古沢 確かに、両校の生徒は、将来、日本をリードする人材も多いでしょうから、入試に関係のない教科も含めて、幅広い教養を身につけることが大切ですね。

画一的なアクティブ・ラーニングに疑問
生徒同士で考え生み出すものを尊重すべき

古沢 高校の次期学習指導要領では議論や発表を活用したアクティブ・ラーニングが重視される見通しですが、両校ではどのように考えていますか。

和田 次期学習指導要領からは、アクティブ・ラーニングという用語はいったん消え、「主体的・対話的で深い学び」という表現になっています。この新しい言葉の意味もよく分からない面があるのですが……。私は従来型の授業を工夫することによって、アクティブな学びにすることは十分に可能だと考えています。たとえば数学の授業で、生徒を指名して黒板に解答を書かせたとき、教員がすぐに添削するのではなく、この解答でいいのか、どこか不足しているところがあるか、生徒に考えさせる時間を作ればいいのです。おそらくいろんな意見が出てくるでしょう。それだけで教室全体がアクティブな学びの場になっているはずです。

葛西 柳沢校長が日頃から「開成の授業はすでに、アクティブ・ラーニングの要素が強い」と明言していることもあって、取り立てて授業をアクティブ・ラーニングに変えようという意識はなかったのですが、昨年、国語科教員有志による合宿を開催しました。その場で若手教員から「国語1.0は講義型、伝達型の授業、国語2.0はグループ学習などで生徒を到達させる授業、そして今、求められている国語3.0の授業は、実際にアクトさせ、創造させる授業なのではないか」という意見が出ました。つまり、文学行為、批評行為など、行為そのものをさせること自体が、授業の目的になるべきなのではないかという考え方です。その教員は、「ベニスの商人」を演じさせる授業を試みました。演じる中で生徒は、資本主義とは何かといったテーマを考えざるをえなくなります。私も刺激を受けて、即興劇を導入しました。そのほか、中1の最初の授業では、「会議のやり方」を取り上げ、会議のルールを教えた上で、自分たちで席替えのルールを作るための会議をするという行為に取り組ませています。

古沢 国語の授業の中で会議のルールを学ぶのですか。

葛西 開成生には「会議文化」が根づいています。運動会は、中1から高3までのクラス代表が出て、1年間かけてルール作りや当日の進行方法などを議論し、最終的に投票で決めます。学年に関係なく、対等の立場で意見が言い合える場です。学年旅行、文化祭などの行事でもきっちり会議をやって進めていきます。

柳沢 先ほど申し上げたように、言葉には思考のための道具と、コミュニケーションのための道具の2つの大きな役割があります。開成では、学校行事を合意形成のプロセスを学ぶ場と位置づけています。論理的に意見を述べ、相手の意見もきちんと聞き、決定したら合意として受け入れる。すなわち他者と関わり、社会性を備えるコミュニケーション力を高める場になっているわけです。

古沢 なるほど。会議のルールを学ぶことは、国語力の重要な要素であるコミュニケーション力の向上とも結びつくわけですね。

灘中学校・灘高等学校
国語科教諭 橘 直弥 先生

 アクティブ・ラーニングに話を戻しますが、私はこの言葉にあまり振り回されない方がいいと感じています。アクティブ・ラーニングでは、内化→外化→内化の3段階が必要といわれています。最初に教員が必要な知識を教え、それをもとに生徒に討論などをさせるわけですが、そこで終わってはいけない。最後に必ず教員がまとめをしないと教育効果が上がらないとされています。最も重要なのは最後の内化です。生徒たちが作った外化をしっかり受け止めた上で、教員がまとめることが大切ですが、その経験がない教員は訓練が必要かもしれません。そうしたことを意識せずに、アクティブ・ラーニングを形だけ取り入れるのは危険です。

古沢 表面的なアクティブ・ラーニングになってしまうということですね。

 ええ。私は古文を教えるとき、できるだけ理屈で答えが出せるような教え方を心がけています。そうすると、理屈の骨格になる部分は、やはり覚えてもらわざるを得ません。授業では、まず古典文法の事項をまとめ、次に具体的な文章の中で確認していきます。第一段階の内化を図るわけです。このときに無理にアクティブ・ラーニングを導入すると、古典の世界を教えることとまったく違う方向で終わってしまう可能性があるのです。以前、アクティブ・ラーニングの研究会に参加したとき、教員同士である作品の映像化に向けたポスターを作成するという課題に取り組んだことがあります。教員ならその多くがその作品の主題を考えようとします。けれども、生徒たちは別の発想をするかもしれません。何を絵にすれば、その作品に興味を持ってもらえるかといった発想です。それは国語の授業として、場合によっては面白く大切な着眼点なのですが、作品の読解を深めていく発想ではない気がします。アクティブ・ラーニングを形だけ導入してしまうと、生徒たちに身につけさせたい力を見失ってしまう恐れがあるのです。
 もう一つ、アクティブ・ラーニングには注意しておかなければならない点があります。発信力を重んじるあまり、積極的に発言でき、しっかりした文章を書けて始めて一人前、という意識に陥っている気がするのです。けれども、上手に話せないけれども書く内容は素晴らしい生徒もいれば、文章は拙いものの、話は上手で、社会に出たらきっと活躍できると思える生徒もいます。そうした生徒もきちんと評価する状況を作らないと、多様な存在を認め合える開かれた社会にはなりません。灘には、世間的にはちょっと変わっている人物も仲間として受け入れ、それぞれの個性を尊重し、評価する風土があります。教育もそうあるべきで、均一化した方向に進むのは美しくないと思っています。

「投書箱」「読書ノート」で
多様な生徒の読書体験が刺激に

古沢 スマートフォンの普及などの影響もあって、活字離れが進み、本を読む量が減っています。読書習慣を養うために取り組まれていることはありますか。

和田 いや、灘の生徒はけっこう本を読んでいますよ。学年によっては職員室の一角に生徒が自分が読んだ本のあらすじや面白かった部分などを投稿する「投書箱」を設け、月1回程度、それをまとめたプリントも配布しています。本を推薦した生徒の名前も掲載します。仲間が読んでいる本への関心は高いですね。多様な個性の生徒が集まっているので、さまざまな分野の本が紹介されており、それまで触れたことがなかったジャンルの本に出会う貴重なチャンスになっています。また、図書館で購入してほしい本を、生徒がリクエストできる制度もあります。自費ではなかなか買えない高価な本のリクエストが多く、無条件で購入することはできませんが、リクエストされた本は必ず図書選定委員の教員が検討します。購入できない場合は、その理由を図書館に掲示しています。

葛西 開成の生徒も驚くほどたくさんの本を読んでいます。課題図書を提示することもあるのですが、私が担当している今年の中2などは、その必要を感じないほどです。授業でブックトークを行ったときも、生徒がお互いに推薦する本のジャンルが幅広く、かなり高度な内容の本も含まれていました。また、多くの教員が「読書ノート」を課しています。とくに優れた感想を書いている生徒のものはコピーして配布するほか、最近はウェブに「読書ノート」を公開して、他の生徒のものも読めるようにするなど共有を図っています。

柳沢 そのほかにも、開成の国語の教員はさまざまな試みを行っています。たとえば、スマイリーキクチさんの「突然、僕は殺人犯にされた-ネット中傷被害を受けた10年間」を、中高の数学年で取り上げたことがあります。ネット上で殺人犯という虚報を流され、被害を受け、10年たってようやく犯人が逮捕された事件です。ちょうど2ちゃんねるの書き込みなどが大きな社会問題になっていました。この本を読み、最後にスマイリーキクチさんを招いて講演会を実施し、ネットモラルを考える貴重な機会になりました。これ以降、生徒の2ちゃんねるへの書き込みはピタリと止まりました。

大学入試改革、記述重視の方向性は歓迎
実施方法にはまだ検討の余地あり

古沢 2020年度に大学入試改革が行われます。当初の構想よりは小幅な改革になりますが、センター試験での記述式問題の導入や、国公立大学の二次試験でも長文の記述式を出題することなどが決まっています。それを見据えて、教育を見直す部分はあるのでしょうか。

和田 当初の構想のように、学科試験は共通テストだけで課して、二次試験は面接や自己アピールなどで合否を決定するというのなら、対策を考える必要があったかもしれません。けれども、国公立大二次試験で記述式を増やすといっても、もともと多くの国公立大が記述式を出してきたわけですから、全体としてはほとんど変わらないと捉えています。これまで灘でやってきた教育を続けていくことで十分に対応できると考えています。

柳沢 同感です。むしろ開成や灘で今までやってきた教育が強みを発揮する入試になると考えています。大学入試改革を先取りして、十数年前から中学入試も、入学後の定期試験も記述式ですし、何ら変える必要がありません。

和田 少し危惧しているのは、記述式の採点を大学入試センターで行わないことです。実績のある民間業者、つまり予備校や模試業者を想定しているのでしょうが、模試の採点を担当しているのは学生アルバイトが中心です。大学入試でそんな採点体制を利用して、はたして大丈夫なのでしょうか。また、記述式が導入されても、センター試験が従来と同じ日程で実施できるのか。あるいは英語4技能試験を外部検定試験で代替する場合、全国の高校生が公平な受験機会を得ることができるのか。まだ検討してほしいことがたくさんあります。

柳沢 大学入試改革の方向性自体は間違っていないと思います。ただし、私は、当初の構想から抜け落ちたものの中に、とても重要なポイントがあったと感じています。それは複数回受験です。高校から大学に進む成長段階の生徒にとって、非常に重要なことだったのです。なぜなら、複数回受験することで、自己評価と他者による評価を一致させることができるからです。1回の受験だと、苦手な分野だけ出題されたので運が悪かった、自分の本当の実力はもっと上だったなどと思う生徒も出てきます。自分の実力はやはりこれぐらいだと納得するまで受けることができれば、自己評価と社会的評価を同期させることができるわけです。それが大人社会で自分に無理なく生きていく上で重要な心理操作なのです。

古沢 2024年度以降に向けて、コンピューターで出題、解答する方法を開発して、複数回受験も可能にするように、引き続き模索するとのことですが。

柳沢 アメリカの共通テストであるSATは7回受験できますし、TOEFLは何回でも受験可能です。実際に複数回受験できる国があるのですから、実現に向けて真剣に検討してほしいと思います。

和田 私がもう一つ期待していたのは、国公立大を複数受験できるようにすることです。現状は後期日程が縮小され、実質的に1校しか受験できない生徒も少なくありません。ちなみにアメリカはさまざまな大学に出願でき、合格した大学の中から選択します。ハーバード大学に合格しても、他の大学を選ぶ生徒もたくさんいます。

柳沢 ハーバード大学は1学年の定員1600人に対して2100人くらいの合格者を発表します。合格しても入学しない生徒がそれだけいるわけです。ところが、世界の大学の中で、東大だけは合格者が全員入学すると信じています。実際、3000人の合格者のうち入学しないのは10人程度です。そこが東大の弱みかもしれません。なぜ入学してくれないのかを考えることが、教育改革のきっかけにもなるからです。開成の入試でも、合格しても入学してくれない生徒がいます。それは悔しいことではありますが、一生懸命教育内容を考えることにもつながるわけです。

中学入試で英語を導入する可能性は?
開成中学校・高等学校
校長 柳沢 幸雄 先生

古沢 2020年度から小学校で英語が教科化されます。保護者の中にはもっと早く、幼児期から英語を学ばせようとするケースも見られます。中学入学前の英語と日本語の学習のバランスについてどうお考えですか。

柳沢 自分の知的概念に結び付いた言語が2種類あるのがバイリンガルです。多くの日本人は方言と標準語を使い分けていますから、すでに立派なバイリンガルです。人間の脳の構造として、二つの言語で概念を作り上げるのは可能であることを意味しており、英語だからといって、あまり意識する必要はないのかもしれません。ただし、それをどの段階でやるのがいいのか、難しい問題です。日本は英語に関しては特殊な国で、大学の教科書が日本語で書かれていても通用します。人口が1億人を超えているからです。対して人口の少ない国では、母国語で記載された教科書は需要が少なく売れないので、必然的に英語で記載された教科書が使われ、それで学びます。少なくとも大学の学部段階からは、英語で新しい知識を概念として身につけることが、けっして特殊ではない状況を作ることが、今後の日本にとって必要なことだと思います。

和田 著名な言語学者からは、小学校で英語教育を進めることに対して、批判、警戒の声が聞かれます。英語と日本語は思考の過程が異なる言語であり、言語中枢が急激に育つ10~12歳の時期に、並行して学ぶことが本当にいいのか、若干の危惧を抱いています。実は私の娘が、小学校の放課後保育施設でスタッフを務めています。施設内では先生や友人と英語で話すという特色ある教育を実施しているのですが、家庭では日本語で会話するように指導しているそうです。子どもはきちんと使い分けられるようです。もっとも、小学校高学年になると、中学入試のための塾にシフトしますから、自然に英語は忘れてしまいます。本格的に英語を勉強するのは中学からで十分だとも思っています。

古沢 今後、中学入試で英語を課す可能性はありますか。

柳沢 入試には二つの役割があります。一つは潜在能力のある生徒を見つけること、もう一つは入学後の授業が成り立つようにすることです。もしも中学入学段階で生徒の英語力に大きな差が生じたら、入学後の授業が困難になるので、事前に英語の勉強をしてもらうようにするかもしれません。ただし、中学入試の英語で潜在能力を測れるのか、よく分からない面もあります。入試に導入するにしても、レベルの調整という意味合いの方が強くなるかもしれないですね。

和田 灘ではまだ入試に英語を導入することは考えていません。他の関西の進学校でも同様のようです。通っていた小学校の英語教育のレベルによって有利不利が生じるのは望ましくなく、入試科目としてふさわしいのか疑問もあります。

映画・アニメも含め多様なコンテンツに触れて
家庭内の会話量は国語力に直結

古沢 中学受験を考えている子どもたちに、国語に関してどのような力を伸ばしてきてほしいのか、アドバイスをお願いします。

和田 すべての教科の学びにおいて、日本語をきちんと使える力が基本になります。その力を身につけるためには、小学校、あるいは未就学の時期からでも、できるだけ活字に触れることが大切です。避けてほしいのは、子どもが興味を示したのに「そんな本はダメ」と排除することです。子どもが興味を持ったら、どんなジャンルでもいいので、本や新聞に触れる機会を作ってほしいと思います。

 子どもにだけ読書を強いるのではなく、保護者の生活の一部に活字があることが望まれます。食事のときなどに、両親や兄姉が「こんな面白い本があった」と話題にして、感想を述べ合うような環境であれば、子どもはその会話に参加したいと思い、さまざまな本を読もうというモチベーションにつながります。

葛西 そうですね。先ほど現在担当している中2生がすごく本を読んでいると申し上げましたが、その背景には、家族が自然に本に親しんでいる環境があるようです。本に限らず、映画、アニメも含めて、多様なコンテンツに触れる経験も有意義でしょう。

柳沢 小学生にとって重要なのは、家庭の中での会話量です。子どもが発話する量が多いほど、コミュニケーション力が高まり、国語力に直結します。まだ語彙が乏しい子どもが一生懸命言葉を紡ぐ中で、論理的な思考が育ちます。

和田 子どもは話し始めると止まらなくなりますから、そんなとき「うるさい」と叱らないことも大切です。それから、家庭だけでなく、同世代の子ども同士の交流も豊富であることも重要だと考えています。



コーディネーター●古沢 由紀子(ふるさわ・ゆきこ)

読売新聞東京本社論説委員。社会部、ロサンゼルス支局長、教育部長などを経て現職。著書に「大学サバイバル」(集英社新書)、共著に「大学入試改革 海外と日本の現場から」(読売新聞教育部/中央公論新社刊)。
これからの時代に求められる人材像─中高一貫校で育む力─ 駒場東邦中学校・高等学校 校長 平野勲先生 雙葉中学校・高等学校 校長 和田紀代子 先生 渋谷教育学園幕張中学校・高等学校 入試対策室長 永井久昭 先生